文化・歴史

6カ月に七十余りの城を攻め落とし、諸葛孔明でも憧れた名将は誰?(二)

紀元前260年の戦国七雄(イメージ:Philg88 / Wikimedia Commons / CC BY 3.0)
連合軍が速やかに斉を攻め落とし、燕軍を斉の各地に配置し、国民を安心させることによって民心を得られ、斉を征服できると楽毅は考えていた。しかし斉の将軍・田単は反間の計を用い、「楽毅は6ヶ月で七十余りの城を落とせたが、なぜ3年かけても即墨と莒を落とせないのか? その理由は楽毅が自ら斉王になろうと企んでいるからだ」と、流言を流した。

Follow me!

PAGE TOP